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名古屋高等裁判所 昭和35年(ネ)480号 判決 1961年1月30日

控訴人

本間竜馬

外二名

被控訴人

宇部生コンクリート工業株式会社

外一名

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人両名は連帯して、(一)控訴人本間竜馬に対し金七六万五〇〇〇円(二)控訴人本間久子に対し金七五万円(三)控訴人野田みさをに対し金一五一万三〇〇〇円、並びに、これらに対するそれぞれ昭和三三年九月二三日より完済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。

控訴人等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その各一を控訴人等及び被控訴人等の連帯負担とする。

この判決は、控訴人本間竜馬、同本間久子において各二五万円、控訴人野田みさをにおいて金五〇万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は、当審においてその請求を減縮した上、「原判決を左のとおり変更する。被控訴人両名は連帯して(一)控訴人本間竜馬に対し金一〇七万一九〇三円(二)控訴人本間久子に対し金一〇五万六九〇三円(三)控訴人野田みさをに対し金二一二万六八〇六円、並びにこれらに対する昭和三三年九月二三日より各完済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする」との判決及び仮執行の宣言を求めた。

被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用及び書証の認否は、左記のように附加する外、原判決の事実摘示と同様であるから、ここにこれを引用する。

(控訴代理人の主張等)

一、いわゆる得べかりし利益(可得利益)に関する原審の判示は、大審院の判例を無視し、これと全く反対の見解を示したもので、明白な誤判である。

一、過失相殺に関する原審の判断中、(1)被害者本人の過失を認めた点は最高裁判所の判例に反するものであり、且つ実質的に考察しても、僅か八歳の幼児に法律の予定する注意義務を要求することは酷である。(2)又監督義務者の過失を認めた点は、なんら具体的証拠にもとづかずして事実を認定したもので、違法である。

一、可得利益以外の点に関する原審の認定には不服はない。

一、乙第六号証の成立を認める。

(被控訴代理人の主張等)

一、可得利益に関する控訴人等の主張の理由のないことは、原判決の説示したとおりである。控訴人等は、国民生活白書の統計によつて損害額を算定しているけれども、右は各種の統計によつて平均収入や平均支出がくい違つており、正確な判断は不可能である。本件におけるように、八歳の幼児が死亡した場合、仮定的に生存期間を設けてその損害金を算出するが如きことは不合理というべきである。

一、控訴人等は、原判決が被害者本人の過失及び控訴人等の過失を認めたことを非難しているけれども、一般に過失の認定については、単に年令的数学的に画一的に判断すべきものでなく、現時における交通状況、社会通念その他の具体的事情に応じて観察すべきである。本件において、被害者本人及び控訴人等の双方に過失の存したことは、原判決が判示したとおりであつて、全く妥当な見解である。

一、(立証省略)

理由

一、控訴人本間竜馬、同本間久子が訴外亡本間久夫の父母であること、控訴人野田みさをが訴外亡野田邦夫の母であること、右訴外人両名が死亡当時いずれも満八才の少年であつたこと、被控訴会社の被用者である被控訴人石原が、昭和三三年九月二二日午後三時五〇分頃生コンクリート運搬用自動車(愛8す〇九一三号)を運転して名古屋市中区南鍛治屋町二丁二二番地先十字路を西進中、折から右十字路を子供用自転車に乗つて南進して来た右訴外人両名に、自己の自動車の右後側部を衝突せしめ、よつて右両名を即時又は翌朝死亡するに至らしめたことは、いずれも当時者間に争のないところである。

そこで、右事故の原因が、被控訴人石原の過失によるものであるかどうかにつき考察する。

成立に争のない甲第一号証の一ないし五、被控訴人石原の本人尋問の結果、検証の結果及び鑑定人加藤金義の鑑定の結果によれば

(一)本件事故の現場は、名古屋市中区南鍛治屋町二丁目二二番地先の十字路で、テレビ塔の下を真直ぐに南下する幅員(歩道は別)約一〇米の南北の舗装道路と、百貨店松坂屋の北側を通る幅員(人道は別)約七米の東西の舗装道路とが交叉する地点である。右十字路附近の状況としては、南北道路の東側部分は東南角、東北角ともに公園又は空地となつていて、東西の道路を東方より十字路に入る車から見ると、十字路に向つて南より北進する車馬は公園の樹木に所々遮られて見透しは完全でないが、北方より南進して来る車馬に対する見透しは良好な個所であること

(二)被控訴人石原は、事故当日、右十字路より程近い同区南武平町一丁目六番地白馬ホテルへ生コンクリートを搬入しており、午後三時五〇分頃、被控訴会社に生コンクリートを取りに行くべく、空の自動車を運転して時速約二五粁で右東西の道路を西進して東方より十字路に差しかゝつたのであるが、十字路の手前で、前記南北の道路を北方より南進して来るタクシー一台を認め、タクシーが自己の運転する自動車の直前を通過したので、他に障害物はないものと軽信して、約二五粁の速力のまゝで十字路中央附近に進行したところ、前記本間久夫及び野田邦夫の両名の乗つた自転車が自己の自動車の右後側部に衝突したので、急いで停車の処置をとつたが及ばず、被控訴人の自動車のため、久夫は頭部を轢かれて即死し、邦夫は腹部を轢かれて翌朝五時一五分頃附近の病院(同区針屋町三丁目三番地江口病院)において死亡したこと

(三)被害者両名は、子供用自転車一台に二人乗りしていたもので、野田邦夫が自転車を運転し、本間久夫がハンドルに掴まつて自転車の前部に同乗し、前記南北の道路を北から南に向つて進行中のものであつたこと

が認められ、被控訴人援用の全証拠によつても右認定を左右することはできない。よつて、以上の事実関係から観察すると、右事故に関しては、被控訴人石原に、自動車操縦上の重大な過失があつたものと認めざるを得ない。すなわち、被控訴人石原としては、前示十字路に差し蒐つた際、右十字路を南北に通行する車馬がないかどうかを充分確かめ、若しその姿を認めたときは直ちに方向転換又は急停車をなし得るよう、事故発生防止に必要な程度に減速して進行すべき義務があるに拘らず、同被控訴人は、前記タクシーが北から南へ向つて通過するのを認めたとき、右タクシーにのみ注意を奪われ、他に十字路を通行する車馬のあるかどうかを充分確認せず、漫然二五粁位の速力を持した侭進行したゝめ、ついに本件事故をひき起したのである。右は、生コンクリート運搬自動車の運転手として重大な過失であることは明かである。

二、そこで、次に、被害者たる久夫等の側にも、右事故発生につき過失があつたかどうかを考える。

検証の結果によれば、本件事故の現場附近は、名古屋市でも有数の繁華街であり、相当の交通量のある所であるから(車道の幅員は前示のように七米ないし一〇米)、かゝる十字路を自転車に乗つて通過するには、自己の前後左右に周到な注意を払うべきは勿論、一台の自転車に二人乗りをして通行するが如きは、最も危険な行為として避けねばならぬことである。このことは、控訴人等の各本人尋問の結果によつても明かなように、当時すでに小学校二年生であつた被害者等は、日頃学校及び家庭で交通の危険につき充分訓戒されており、従つて、右の点についても弁識があつたものと推定すべきである。しかるに前述のように、十字路に差しかゝつた際、東から西進して来た被控訴人の自動車に深く注意を払わず、自転車に二人乗りした侭右十字路を通過しようとしたのであり、右は同人等の著しい過失というべく、右過失が被控訴人の過失と相まつて本件事故をひき起したのである。したがつて、同人等が右事故により被つた損害につき、被控訴人等に対し賠償を求め得べき金額に関しては、右の点を当然に考慮すべきである。

なお被控訴人等の主張によれば、右久夫及び邦夫の父母である控訴人等においても、本件事故発生につき過失があるというのであるが、控訴人等が右久夫等の監督義務者として事故発生につき過失があつたことは、これを認むべき特段の証拠はない。却つて、控訴人等の各本人尋問の結果によれば、控訴人等は平素久夫及び邦夫に対し自転車乗用については慎重に注意を払うよう訓戒していたこと、及び、事故の当日久夫等が自転車に二人乗りして外出することは控訴人等において目撃していなかつたことを窺い得るから、控訴人等に監督義務者としての注意義務のかい怠があるという被控訴人の抗弁は理由がない。

三、ところで、被控訴会社が生コンクリートの製造及び販売を業とする会社であり、被控訴人石原を生コンクリート運搬用自動車の運転手として雇用していたこと、及び、被控訴人石原が右生コンクリート運搬業務に従事中本件事故をひき起したことは、当事者間に争のないところである。従つて、被控訴会社としては、右石原の過失によつて久夫及び邦夫を死亡せしめた以上、これによる損害につき、使用者としての賠償責任を負うべきことは勿論である。被控訴会社は、右使用者責任について免責事由があると主張するので考えるに、証人梅村源助の証言及び被控訴人石原の本人尋問の結果によれば、被控訴会社においては、自動車運転手の雇入れに際し事故の前歴のないことを確かめた上採用し、雇入れ後も運転手を班別にして班長が直接実地指導し、その承認を経てから単独運転をなさしめていたこと、及び、被控訴人石原は交通事故の前歴を有しない運転手であることを認め得るけれども、右程度の事情をもつてしては、被控訴会社が被控訴人石原の選任監督(特にその監督)について相当の注意を払つていたものとはいゝ難いから、他に右主張を肯認せしめるに足る特段の証拠もない本件においては、被控訴会社の抗弁は採用しがたい。

四、よつて、進んで、本件事故による損害賠償の金額について検討する。

(一)成立に争のない甲第五号証の一、二及び控訴人等の各本人尋問の結果によると、前記久夫及び邦夫は、いずれも本件事故当時満八才余の普通健康体を有する男子であつたことが認められるから、成立に争のない甲第三号証の一(厚生省第九回修正生命表)によれば、同人等はいずれも通常ならばなお五七年六月以上の余命を有したことが統計上明かである。

しかして、成立に争のない甲第三号証の二(経済企画庁編昭和三三年版国民生活白書第一二三表常用労働者現金給与月報)によると、昭和三三年四月より同年九月までの我国における通常男子の一ケ月の平均労働賃金は金二万〇六四八円(一ケ年金二四万七七七六円)であつたことが認められるから、特別の事情の認められない本件においては、同人等はその年令が満二〇才に達した後少くとも満五五才までの間は、右金額を下らない収入を得ていたものと推認するのが相当であり、又、成立に争のない甲第八号証(経済企画庁編昭和三四年版国民生活白書第七全都市勤労者世帯五分位階層別収支表)によれば、昭和三三年度における我国勤労者世帯の家族数四・四六人の支出総額中実支出額は一ケ月金三万〇六三八円であり、一人平均は金六八六九円(一ケ年金八万二四二八円)であることが明かであるから、特別の事情の認められない本件においては、同人等の生存予定期間中における生活費もこれと同額であると認めるを相当とする。よつて、上述の久夫及び邦夫の各余命五七年六月中、満二〇才から満五五才までの間の前記得べかりし収入の年額より前記生活費の年額を控除し、(一ケ年の純収入金一六万五三四八円となる)、更にホフマン式計算法により中間利息年五分を一ケ年毎に差引いて事故当時の一時支払額に換算すると、右金額は合計二四七万〇九〇〇円余となり、これが久夫等において本件事故により失つた得べかりし利益(可得利益)の総額であり、同人等の被つた損害ということができる。

被控訴人等は、久夫等が今後五七年六月生存するとしてその可得利益を算出するに当つては、単に満二〇才から満五五才までの間の同人等だけの生活費を控除すべきでなく、余命全期間にわたつての、而かもその家族を有するに至つた後は家族の分をも含めた生活費を控除すべきであると主張するけれども、一般に、未だ収入を有しない幼児等の死亡した場合における可得利益の計算方法としては、当該幼児の将来の稼働可能期間の総収入から、同期間内における同人のみの生活費を控除すれば足るものと解するを相当とするから、被控訴人等の右主張は採用しがたい。

よつて、被控訴人等はそれぞれ久夫及び邦夫に対し、各金二四七万〇九〇〇円余の損害賠償金を支払う義務あるところ、上述したように、本件事故の発生については、被害者たる久夫等にも過失の責任のあることが明かであるから、右の点を考慮すれば、被控訴人等の支払うべき損害賠償額は、これを軽減して各金一〇〇万円とするを妥当と思料する。控訴人等及び被控訴人等援用の各証拠によつても以上の判断を左右するに足らない。しかして、成立に争のない甲第六号証の一、二によれば、前記久夫の死亡によりその父母である控訴人本間竜馬及び同久子が、又、邦夫の死亡によりその母である控訴人野田みさをが、それぞれ同人等の遺産を相続したことが認められるから、控訴人本間竜馬及び同久子は、久夫の損害賠償債権の二分の一である各金五〇万円を、又控訴人野田みさをは、邦夫の損害賠償債権の金額一〇〇万円を、それぞれ相続により承継したことが明かといい得る。

(二)次に、控訴人本間竜馬の本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第二号証の一ないし四によると、控訴人本間竜馬は、久夫の死亡によりその葬式費用等として大塚葬具店に金一万〇五二〇円、大東陽及び玉伝本店に会葬者割子代として金九〇一〇円、合計金一万九五三〇円を支出し、又、控訴人野田みさをの本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第二号証の七ないし一〇によると、控訴人野田みさをは、邦夫の入院治療及び死亡によつて看護婦代として旭看護婦斡旋所に金一三〇〇円、東洋看護婦家政婦旋斡所に金一三〇〇円、葬式費用として一柳葬具総本店に金一万六一六〇円、合計金一万八七六〇円を支出したことが認められる。なお控訴人本間竜馬が、かとう石店に金一二万一〇〇〇円、松坂屋百貨店に金五万七七五〇円を支払つたことは、成立に争のない甲第二号証の六及び控訴人本間竜馬の供述によつて成立を認め得る同号証の五によつて明かであるけれども、控訴人本間竜馬及び同久子の各本人尋問の結果を総合すると、前者は、控訴人本間竜馬が名古屋市に永住の意思あるところから自己及びその家族の墓石を、久夫の死亡を機会として建立したための費用であり、後者は、いわゆる香典返しの品物を購入するため支出した費用であることが認められるから、右はいずれも本件事故により直接同控訴人に生じた損害と解すべきではない。又、控訴人野田みさをが富士屋商店に金六六八〇円を支払つたことは、控訴人野田みさをの供述によつてその成立を認め得る甲第二号証の一二に徴して明かであるけれども、証人村瀬栄一の証言及び控訴人野田みさをの本人尋問の結果によれば、右もいわゆる香典返しの購入費用であることが認められるから、これ亦同控訴人の損害賠償額に加算するは相当でない。

(三)そこで、最後に、控訴人両名の慰藉料の金額について考える。

控訴人等が、それぞれ久夫及び邦夫の父母として、その不慮の死に遭遇し筆舌に尽しがたい精神的苦痛を嘗めたことは想像に余りあるところであり、被控訴人等において、その苦痛を慰藉すべき義務あることはいうまでもない。しかして、証人梅村源助、川中昭、村瀬栄一の各証言及び控訴人等の各本人尋問の結果によると、控訴人等方の各家族構成及び家庭の事情がそれぞれ控訴人等主張のとおりであること,及び、被控訴会社は、久夫等の葬式の際取締役角喜友並に事故係社員梅村源助を出席させ、香典として金一万円を供え、又邦夫の入院治療費等金五万二八一〇円を支払つたけれども、それ以上、積極的に控訴人等の悲痛事を慰藉すべき措置をとることなく、その態度において熱意を欠く点のあつたことを認め得る。又、真正に成立したと認められる甲第一一号証及び証人川中昭の証言によると、被控訴会社は生コンクリートの製造販売を業とする会社であり、その業績は順調で昭和三三年以降売上高は数億に及ぶものであることが認められ、一方、被控訴人石原は昭和二四年に新制中学を卒業後、昭和三三年四月被控訴会社に自動車運転手として就職し、現在に至つているが、妻子二人の家族を有し一ケ月金二万円程度の給料を得ていること、本件以外に交通事故を起した経歴なく、本件事故で罰金五万円の略式命令を受け確定していることは成立に争のない甲第一号証の五及被控訴人石原の本人尋問の結果により明かである。

以上の事実、及び前示認定にかゝる双方の過失の程度、その他本件にあらわれた諸般の事情を総合して考量すると、被控訴人等が控訴人等に対し支払うべき慰藉料の金額は、控訴人本間竜馬、同久子に対し各金二五万円、控訴人野田みさをに対し金五〇万円をもつて相当と認める。

五、上記の次第で、控訴人両名の本訴請求は、控訴人本間竜馬が久夫より相続にかゝる損害賠償債権五〇万円、自己の支出した葬式費用等の金一万九五三〇円、及び慰藉料金二五万円合計金七六万九五三〇円、控訴人本間久子が久夫より相続した損害賠償債権五〇万円及び慰藉料金二五万円合計七五万円、控訴人野田みさをが邦夫より相続にかかる損害賠償債権一〇〇万円、自己の支出した葬式費用等の金一万八七六〇円、及び慰藉料金五〇万円合計金一五一万八七六〇円、並びに、これらに対する本件事故発生の日の翌日である昭和三三年九月二三日より支払ずみに至るまで年五分の割合の損害金の請求権を主張する限度において理由があり、被控訴人両名は連帯して控訴人等に対し、それぞれ右金員を支払うべき義務あることが明白である。控訴人等のその余の請求は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、以上と一部その見解を異にする原判決は相当でないから、控訴人等の不服の限度においてこれを変更することとし、(前記各金額のうち、可得利益以外の点に関しては、原審認定の金額につき控訴人等の不服申立がないから、これを変更しない)訴訟費用の負担及び仮執行の宣言について民事訴訟法第九六条第八九条第九二条第九三条第一九六条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 石谷三郎 山口正夫 吉田彰)

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